2016.05.03 00:10|その他
BLカップリングの受け・攻めというものがよくわかりません。

わたしは小学四年生で腐女子になり、それから中学三年までの六年間、どっぷりBLに浸かって過ごしました。主食としていたのはジャンプ系のマンガの二次創作と、ラピス文庫やプランタン文庫などの商業BLです。そのころはべつに受け攻めに悩むことなく、なにも考えずにBLを楽しんでいました。ホモのことしか考えていませんでした。
で、中学三年と高校一年のあいだの春休み、百合にハマります。それからアラサーになるまでの十数年間はひたすら百合を食い散らかして生きてきました。百合のことだけを考え、百合と聞けば本を買って散財し、百合に人生を捧げてきました。
いろいろあって(それについては前に書いた「わたしが百合に疲れてしまった話」をご参照ください)百合から離れてまたBLに戻ったんですが、その現在、受け攻めというのがまったくわからなくて困っている状態です。

少し前にハマったカップリングであるところの『スーパーダンガンロンパ2』の狛枝と日向のカップリングなんですが、これはもう二次創作同人誌を片っ端から買いあさりました。狛枝×日向も、日向×狛枝も、両方です。わたしとしては狛枝くんと日向くんがなんかわちゃわちゃしたりこじらせていたり愛し合っていたりするものが読めればそれで最高!!!!!という感じであり、どちらが攻めでどちらが受けなどはまったくどうでもよいことでした。ほんとうにどうでもいいんです。ふたりの関係が描かれていればそれだけで「ありがとうございますごちそうさまです!!」と拝んでいました。
で、いまは『おそ松さん』の一松×カラ松にハマっているのですが、なんとなく気持ち的に一松くん視点で一松くんがカラ松兄さんをこじらせているものが好きなので便宜上一カラと言っているのであり、これもわりと順序はどうでもいいです。
どっちが攻めでも受けでも、ふたりの関係が描かれていればそれだけで嬉しい。
周囲を見てみると「一カラ主食、カラ一は地雷」などと言っている方もいて、「えっっっ同じふたりの組み合わせでも逆だと地雷になるの???なんで?????」とその感覚がわからずクエスチョンマークをたくさん浮かべてしまいます。
狛枝・日向に関しても「わたしが好きなのは狛日なんだろうか日狛なんだろうか……」と悩み、おそ松さんにハマっている現在も「一カラ……い、いちから民って言っていいのかな……?」と戸惑いながら一カラ民を名乗っています。

BLのカップリングの順序がわかりません。昔はなにも考えずにBLを楽しむことができた純腐女子であったはずなのに。なぜか。
百合のせいです。
「せい」と言うと語弊があるかもしれませんが、明らかにその理由は百合にある、と先日気づきました。

百合はもともとBLのようにカップリングの順序を重視しない文化です。「絶対こっちの子が攻めでこっちの子が受け!逆カプは認めない!!」というひとも存在はしますが、少数だと思います(きちんと統計をとったわけじゃないので、ネットを見ていて受ける印象でしかないんですけれども)。その理由としては、百合はBLのように「ちんこを突っ込む/突っ込まれる」という明確な行為がないことが挙げられると思うんですが、それについては本題じゃないので置いておきます。
さらに、これはツイッターでわめいたことの繰り返しになるのですが、百合の目標設定というか描くべきものとして、“一対一の男女カップルの模倣ではない次元”というものがあります。これはべつに、「これこそが全百合が目指す唯一のものである!」とか「百合を描くなら必ずそこに至らなければならない!」という絶対的なものではなく、あくまでも「百合の一部としてそういうものが存在する」程度の話で、さらに作者がそう意図していないのにそのようになっている作品もあります。
ただわたしは個人的に“一対一の男女カップルの模倣ではない”百合が好きで、(あくまで個人的に)百合とはそういうものを描くべきであると思っていたし、それこそが“わたしの”百合である、と思ってきました。
好きな作品は玄鉄絢『少女セクト』と中里十『いたいけな主人』です。どちらも一対一の、男女カップルの模倣をした恋愛ものではありません。三人以上の関係性を、“恋愛”というかたちに収まらず、百合という文脈でしか描けない手法で描いたすばらしい作品です。そのような作品を読んで、わたしは百合とはこうであるべきだしこのような百合がもっと増えればいいのになあと思ってきました。

そんな感じで百合に人生を捧げて過ごして十数年。
BLに戻ったら受け攻めの概念がわからなくなっていました。
そりゃそうだ、と思いました。これは「現状の定義がそうである」と批判したいわけではないんですけれども、わたしのなかのBLにおいての受け/攻めの概念は女役/男役というものだったんですよね。一対一の男女カップルの模倣ではない、三人以上の関係を百合でしか描けない手法で描くという百合にどっぷり浸かって十数年、その感覚を引きずったままBLに移動しようとして、しかしわたしのなかのBL観は「受けは女役であり攻めは男役であり男女カップルの模倣である」というところで止まっていたので、「??????」となるのも当然でした。要は百合に関してはわたしは進歩的な考え方をしていたのに、BLに関しては小学生のときのなんにも考えないままで価値観が止まっていたということです。

「百合は進歩的な関係を描いているのに対して、BLは男女カップルの模倣でしかない」と言いたいわけでは決してないです。わたしが知らないだけで、BLにも男女一対一カップルの模倣ではない作品はある、と教えていただきました。そういう作品があればぜひとも読みたいです。ご存知の方は教えてください。わたしは同性愛という文脈だからこそ描けるもの(=同性愛を扱うならば描かなければならないもの、ではないです)を描いた作品を読みたいなあと思うし、百合もBLも、そういう意味で大きな可能性と未来を持っていると思っています。
また、「一対一の恋愛関係を描いた百合/BLはおもしろくない」と言っているのでもありません。「男女一対一カップルの模倣ではないところを描く」というのはあくまで百合の可能性のひとつであり、一対一の関係を描いた百合/BLにもすばらしい作品はたくさんあります。

で、だからと言って百合の価値観をそのままBLにスライドさせるのもどうなのかなあ、と思うのですが、百合というジャンルに浸かって十数年、出戻ったばかりで昨今のBLの文脈や作法というものがまだまだわかっていないので、ひとまずは「カップリングの順序とかどうでもいい!わたしの好きなキャラのあいだのなんらか関係性が描かれていればそれでいいんだ!」というスタンスでいこうかなあと思います。
でもこれで困るのが好きなカップリングを言うときなんだよね……「ダンガンロンパ2の……えっと……狛日……こま……日狛……えっと……」って何度もなってました。「狛日狛」って言えばいいんですかね。でもなんかそれも違うなあ、ふたりの関係が描かれてればそれでいいんだよなあと思いながら「狛日狛が好きです……」と言っていました。一カラに関しても「一カラ一」ではなく「一松くんとカラ松兄さんの関係が描かれていればそれでいいです!」と言いたい……


ところで上に挙げた『少女セクト』と『いたいけな主人』はほんとうにすばらしい百合作品なので、「一対一の男女カップルの模倣じゃないってどういうこと?????」という方はぜひ読んでみてください。百合の未来がそこにあります。……といっても『少女セクト』は2005年、『いたいけな主人』は2009年の作品で、それ以降この文脈での傑作がわたしの知る限り出てきていないので、わたしは百合に失望し一旦離れたという感じなんですけれども……百合の未来はどっちだ……わたしはいまはもうおそ松さんのひとなので知らん……