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2016.02.19 04:43|その他
はてな匿名ダイアリーみたいなタイトルですがはてな匿名ダイアリーではないです。

ついったーをご覧の方はもうとっくにご存知だと思いますが、わたしがおそ松さんというアニメにハマってはや四か月が経ちます。昨年末の冬コミでは創作(文芸・小説)、しかも百合でスペースをとっていたくせにおそ松さん二次創作本を出しました。寝ても覚めても松、ひまさえあればおそ松さんを観返し、おそ松さんのことについて考え、悩み、泣き、わめきちらしています。
そして昨日は夏コミサークル参加申し込みの締め切りだったのですが、わたしはアニメ(その他)、おそ松さんで申し込みました。昨年末の冬コミでサークル参加は九回目だったのですが、(受かれば)記念すべき十回目、わたしは初めて百合でないものを頒布するために申し込みをしました。

百合に疲れました。
わたしはもともとBLのことしか考えていない腐女子だったのですが、十五歳のときに百合を知り、ハマり、そしてアラサーになる今日まで、人生のおよそ半分を百合にささげてきました。ネットで百合作品のことをひたすら調べ、片っ端から買い、自分でも開拓するために書店をまわり、表紙やあらすじが百合っぽければすべて買い、読み、感想を書き紹介して、ということをやっていました。楽しかったです。『百合姉妹』という雑誌が創刊されたころの話です。有名ブロガーなどというものには程遠いですが、ほそぼそと、けれどコンスタントにブログを更新して、百合好きな方と出会い、お話しし、交流し、その世界を広げてきました。
だんだんとそのころの気力が失われてゆき、世間で百合だ、とさわがれている作品のチェックをすることもなくなったのはいつからだろう、といましみじみと思い返しています。わたしが百合に疲れはじめてしまったのは一体いつからだったんだろう。
百合はわたしの救いでした。
とにかく生きづらくて、息がしづらくて、なにもかもが憎くて嫌いで殺したいし死んでしまいたかったわたしにとって、百合作品を読んでいる時間は、唯一の救いでした。こういう世界があるんだ、わたしはここでなら息ができる、と思いました。
いまはもう、そうではなくなってしまいました。
話題になっている作品を買って読んでみても、「これのどこがおもしろいんだろう」と首を傾げることしかできなくなりました。ネットで話題になって絶賛されていたぶん、その落胆とショックは大きいものでした。
わたしに百合を楽しむ素養がなくなってしまったのか、それとも“百合”が変質してしまったのか。
もうどっちでもいいです。わたしは疲れました。

好きな作品はいまでも大好きです。たとえば、……ていうか連載記事にするつもりだった「わたしのつらくない百合」で紹介した『いたいけな主人』をはじめとする中里十先生の作品は、何度も何度も何度も、セリフを暗記するくらいに読み返しています。『少女セクト』も『青い花』も大好きです、『舞-HiME』も『SIMOON』もDVDボックスを持っています。
さきほど「どっちでもいい」と言いましたが、「わたしに百合を楽しむ素養がなくなった」とは思いたくないんだと思います。人生の半分を費やしてきたんだから。そこはたしかにわたしが息ができる場所だったんだから。『君が僕を』も『荊の城』も本がぼろぼろになるまで読み返しているんだから。
だからわたしは一時期、『ゆるゆり』や『百合男子』を看板にしだした百合姫に、乱発される萌え四コマ系深夜アニメに、発狂したようにわめいていました。「変わったのは百合のほうだ、いまの百合はもう百合じゃない」。
わかるよ、と同意をくださった方もいました。反論もたくさんありました。老害がわめいているだけだとも言われました。
わたしは次第に発狂するのもやめて、ただ黙るようになりました。話題になっている作品を買って失望しても、それを口にしなくなりました。

心にまったく響かないんです。最近話題になっている百合作品を読んだり観たりしても。「これのどこがおもしろいの?」としか思えないんです。わたしが求めているのは『君が僕を』であり『いたいけな主人』であり『荊の城』であり『少女セクト』です。十五年前を思えば信じられないほどのスピードと量で供給されてくる百合作品を目にしても、すばらしいと思えないんです。心が動かないんです、一ミリも。
わたしははじめ、それに憤り、やがて悲しむようになり、そして口をつぐんでいるのがいまです。

百合に疲れました。
憤ることにも、悲しむことにも、「変わったのはわたしじゃないはずだ」と煩悶することにも、もうなにもかもに疲れてしまった。
答えを出したくない、悩みたくない。
結局第一回しか書いていない「わたしのつらくない百合」は、「いまはしょうもない百合作品が乱発されるようになってしまったけれど、わたしにとっての“百合”はこれなんだ、そしてわたしの思う“百合”はこんなにすばらしいんだ」と主張したかったんだと思います。でももうその気力もなくなってしまいました。

わたしはわたしの思う“百合”を書いてきました。わたしはこういうものが読みたいし、これがわたしにとっての百合なんだ、と思うものを書いて、本にしてきました。
大した部数は出ていませんが、それでも、毎回足を運んでくださる方、新刊は必ず手に取ってくださる方がいらっしゃいました。メールでとても丁寧な感想をくださる方もいらっしゃいました。ついったーで「おもしろかった」「よかった」とつぶやいてくれる方がいらっしゃいました。
ありがとうございました。
皆さまがいたから、短い期間ですが、わたしはこれまで「わたしの思う“百合”」を書いてこられました。わたしのやっていることは無意味ではないはずだ、と思って、百合というものに向き合ってこられました。ほんとうにありがとうございました。大好きです。

昔、プロの編集者の方に自分が書いた文章を見ていただく機会があって、そのときに、「あなたはどんなかたちでもいいので、文章を書き続けてください」という言葉をいただきました。その言葉は、ずっとずっとわたしの支えになっていて、パソコンに文章を打ち込みながら、「こんなもの誰がおもしろいと思うんだろう、こんなものを書いてなんの意味があるんだろう」と思ってしまうとき、いつもその言葉を思い出していました。
わたしの書いた作品を読んでくださる方も、おもしろいと言ってくださる方も、その言葉と等しい存在でした。ほんとうにありがとうございました。

おそ松さんには、ハマるべくして、ハマるべきときにハマったんだと思います。これが五年前だったら、ここまで沼に全身浸かっていなかった。百合に疲弊しきったわたしに、おそ松さんは蜘蛛の糸をたらしてくれました。
だって疲れなくていいんです。「わたしはこれが好きだ」って、はっきりきっぱり言えるんです。悩まなくていいんです。「これはすばらしい!」と声高々に叫べるんです。それがすごく楽で、幸せで、満たされているんです。そして同じ作品を観て、同じく「すばらしい!」と言っている方がたくさんいて、その気持ちを共有できるんです。そのすべてが、いまの“百合”がわたしには与えてくれないものです。

ついったーでも言いましたが、「わたしは百合に人生の半分を費やしてきたのに、百合がわたしになにも返してくれなくなった」、と言いたいんだと思います。だから、百合と一旦距離を置いて、一時の決別をしようとしています。
部数が出なかったから、読んでくださった方からのリアクションがなかったから百合から離れるのではありません、と、それだけは言わせてください。あなたがわたしの心の支えでした。わたしの“百合”を読んでくださって、ありがとうございました。


ってなんかすごい大げさに書いてしまった気がしますが、べつに完全に足を洗うわけでもなく、つい先日も『賭ケグルイ』というマンガがよい百合だった!とか叫んでましたからね。デストロ246とかは新刊を心待ちにしている作品です。
でも、もうしばらくは百合は書かないよ、もう献身的なふりをやめるよ、信じ続けている体を装うのはやめるよ、という決意表明というか、なんというか、そんな感じです。

百合に疲れた!!!!!
だから、ひとまずさようなら。
そしてこんにちは松、そしてただいまBL!!!!!!!
というお話でした。

あーーーーーーーー松おもしろい、ほんとうにおもしろいしすばらしい作品です、大好き!!!!!!!!
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