2017.01.05 04:32|その他
三が日も過ぎてしまいましたが、明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。松に生きて松に死ぬと宣言しましたが、その通りの年となりました。
ついったーでかまってくださった方、お会いして遊んでくださった方、そしてわたしの本を買って読んでくださった方、ほんとうにありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

ということで、1月29日のおそ松さんオンリー、家宝は寝て松にサークル参加する予定です!
新刊は、一カラセカイ系小説、あつトド四畳半神話大系パロを予定して……います……たぶん2冊出ます、たぶん!
春コミも申し込み済みです。今年こそおそ松さん本いっぱい出すぞー!
2016.05.03 00:10|その他
BLカップリングの受け・攻めというものがよくわかりません。

わたしは小学四年生で腐女子になり、それから中学三年までの六年間、どっぷりBLに浸かって過ごしました。主食としていたのはジャンプ系のマンガの二次創作と、ラピス文庫やプランタン文庫などの商業BLです。そのころはべつに受け攻めに悩むことなく、なにも考えずにBLを楽しんでいました。ホモのことしか考えていませんでした。
で、中学三年と高校一年のあいだの春休み、百合にハマります。それからアラサーになるまでの十数年間はひたすら百合を食い散らかして生きてきました。百合のことだけを考え、百合と聞けば本を買って散財し、百合に人生を捧げてきました。
いろいろあって(それについては前に書いた「わたしが百合に疲れてしまった話」をご参照ください)百合から離れてまたBLに戻ったんですが、その現在、受け攻めというのがまったくわからなくて困っている状態です。

少し前にハマったカップリングであるところの『スーパーダンガンロンパ2』の狛枝と日向のカップリングなんですが、これはもう二次創作同人誌を片っ端から買いあさりました。狛枝×日向も、日向×狛枝も、両方です。わたしとしては狛枝くんと日向くんがなんかわちゃわちゃしたりこじらせていたり愛し合っていたりするものが読めればそれで最高!!!!!という感じであり、どちらが攻めでどちらが受けなどはまったくどうでもよいことでした。ほんとうにどうでもいいんです。ふたりの関係が描かれていればそれだけで「ありがとうございますごちそうさまです!!」と拝んでいました。
で、いまは『おそ松さん』の一松×カラ松にハマっているのですが、なんとなく気持ち的に一松くん視点で一松くんがカラ松兄さんをこじらせているものが好きなので便宜上一カラと言っているのであり、これもわりと順序はどうでもいいです。
どっちが攻めでも受けでも、ふたりの関係が描かれていればそれだけで嬉しい。
周囲を見てみると「一カラ主食、カラ一は地雷」などと言っている方もいて、「えっっっ同じふたりの組み合わせでも逆だと地雷になるの???なんで?????」とその感覚がわからずクエスチョンマークをたくさん浮かべてしまいます。
狛枝・日向に関しても「わたしが好きなのは狛日なんだろうか日狛なんだろうか……」と悩み、おそ松さんにハマっている現在も「一カラ……い、いちから民って言っていいのかな……?」と戸惑いながら一カラ民を名乗っています。

BLのカップリングの順序がわかりません。昔はなにも考えずにBLを楽しむことができた純腐女子であったはずなのに。なぜか。
百合のせいです。
「せい」と言うと語弊があるかもしれませんが、明らかにその理由は百合にある、と先日気づきました。

百合はもともとBLのようにカップリングの順序を重視しない文化です。「絶対こっちの子が攻めでこっちの子が受け!逆カプは認めない!!」というひとも存在はしますが、少数だと思います(きちんと統計をとったわけじゃないので、ネットを見ていて受ける印象でしかないんですけれども)。その理由としては、百合はBLのように「ちんこを突っ込む/突っ込まれる」という明確な行為がないことが挙げられると思うんですが、それについては本題じゃないので置いておきます。
さらに、これはツイッターでわめいたことの繰り返しになるのですが、百合の目標設定というか描くべきものとして、“一対一の男女カップルの模倣ではない次元”というものがあります。これはべつに、「これこそが全百合が目指す唯一のものである!」とか「百合を描くなら必ずそこに至らなければならない!」という絶対的なものではなく、あくまでも「百合の一部としてそういうものが存在する」程度の話で、さらに作者がそう意図していないのにそのようになっている作品もあります。
ただわたしは個人的に“一対一の男女カップルの模倣ではない”百合が好きで、(あくまで個人的に)百合とはそういうものを描くべきであると思っていたし、それこそが“わたしの”百合である、と思ってきました。
好きな作品は玄鉄絢『少女セクト』と中里十『いたいけな主人』です。どちらも一対一の、男女カップルの模倣をした恋愛ものではありません。三人以上の関係性を、“恋愛”というかたちに収まらず、百合という文脈でしか描けない手法で描いたすばらしい作品です。そのような作品を読んで、わたしは百合とはこうであるべきだしこのような百合がもっと増えればいいのになあと思ってきました。

そんな感じで百合に人生を捧げて過ごして十数年。
BLに戻ったら受け攻めの概念がわからなくなっていました。
そりゃそうだ、と思いました。これは「現状の定義がそうである」と批判したいわけではないんですけれども、わたしのなかのBLにおいての受け/攻めの概念は女役/男役というものだったんですよね。一対一の男女カップルの模倣ではない、三人以上の関係を百合でしか描けない手法で描くという百合にどっぷり浸かって十数年、その感覚を引きずったままBLに移動しようとして、しかしわたしのなかのBL観は「受けは女役であり攻めは男役であり男女カップルの模倣である」というところで止まっていたので、「??????」となるのも当然でした。要は百合に関してはわたしは進歩的な考え方をしていたのに、BLに関しては小学生のときのなんにも考えないままで価値観が止まっていたということです。

「百合は進歩的な関係を描いているのに対して、BLは男女カップルの模倣でしかない」と言いたいわけでは決してないです。わたしが知らないだけで、BLにも男女一対一カップルの模倣ではない作品はある、と教えていただきました。そういう作品があればぜひとも読みたいです。ご存知の方は教えてください。わたしは同性愛という文脈だからこそ描けるもの(=同性愛を扱うならば描かなければならないもの、ではないです)を描いた作品を読みたいなあと思うし、百合もBLも、そういう意味で大きな可能性と未来を持っていると思っています。
また、「一対一の恋愛関係を描いた百合/BLはおもしろくない」と言っているのでもありません。「男女一対一カップルの模倣ではないところを描く」というのはあくまで百合の可能性のひとつであり、一対一の関係を描いた百合/BLにもすばらしい作品はたくさんあります。

で、だからと言って百合の価値観をそのままBLにスライドさせるのもどうなのかなあ、と思うのですが、百合というジャンルに浸かって十数年、出戻ったばかりで昨今のBLの文脈や作法というものがまだまだわかっていないので、ひとまずは「カップリングの順序とかどうでもいい!わたしの好きなキャラのあいだのなんらか関係性が描かれていればそれでいいんだ!」というスタンスでいこうかなあと思います。
でもこれで困るのが好きなカップリングを言うときなんだよね……「ダンガンロンパ2の……えっと……狛日……こま……日狛……えっと……」って何度もなってました。「狛日狛」って言えばいいんですかね。でもなんかそれも違うなあ、ふたりの関係が描かれてればそれでいいんだよなあと思いながら「狛日狛が好きです……」と言っていました。一カラに関しても「一カラ一」ではなく「一松くんとカラ松兄さんの関係が描かれていればそれでいいです!」と言いたい……


ところで上に挙げた『少女セクト』と『いたいけな主人』はほんとうにすばらしい百合作品なので、「一対一の男女カップルの模倣じゃないってどういうこと?????」という方はぜひ読んでみてください。百合の未来がそこにあります。……といっても『少女セクト』は2005年、『いたいけな主人』は2009年の作品で、それ以降この文脈での傑作がわたしの知る限り出てきていないので、わたしは百合に失望し一旦離れたという感じなんですけれども……百合の未来はどっちだ……わたしはいまはもうおそ松さんのひとなので知らん……
2016.02.19 04:43|その他
はてな匿名ダイアリーみたいなタイトルですがはてな匿名ダイアリーではないです。

ついったーをご覧の方はもうとっくにご存知だと思いますが、わたしがおそ松さんというアニメにハマってはや四か月が経ちます。昨年末の冬コミでは創作(文芸・小説)、しかも百合でスペースをとっていたくせにおそ松さん二次創作本を出しました。寝ても覚めても松、ひまさえあればおそ松さんを観返し、おそ松さんのことについて考え、悩み、泣き、わめきちらしています。
そして昨日は夏コミサークル参加申し込みの締め切りだったのですが、わたしはアニメ(その他)、おそ松さんで申し込みました。昨年末の冬コミでサークル参加は九回目だったのですが、(受かれば)記念すべき十回目、わたしは初めて百合でないものを頒布するために申し込みをしました。

百合に疲れました。
わたしはもともとBLのことしか考えていない腐女子だったのですが、十五歳のときに百合を知り、ハマり、そしてアラサーになる今日まで、人生のおよそ半分を百合にささげてきました。ネットで百合作品のことをひたすら調べ、片っ端から買い、自分でも開拓するために書店をまわり、表紙やあらすじが百合っぽければすべて買い、読み、感想を書き紹介して、ということをやっていました。楽しかったです。『百合姉妹』という雑誌が創刊されたころの話です。有名ブロガーなどというものには程遠いですが、ほそぼそと、けれどコンスタントにブログを更新して、百合好きな方と出会い、お話しし、交流し、その世界を広げてきました。
だんだんとそのころの気力が失われてゆき、世間で百合だ、とさわがれている作品のチェックをすることもなくなったのはいつからだろう、といましみじみと思い返しています。わたしが百合に疲れはじめてしまったのは一体いつからだったんだろう。
百合はわたしの救いでした。
とにかく生きづらくて、息がしづらくて、なにもかもが憎くて嫌いで殺したいし死んでしまいたかったわたしにとって、百合作品を読んでいる時間は、唯一の救いでした。こういう世界があるんだ、わたしはここでなら息ができる、と思いました。
いまはもう、そうではなくなってしまいました。
話題になっている作品を買って読んでみても、「これのどこがおもしろいんだろう」と首を傾げることしかできなくなりました。ネットで話題になって絶賛されていたぶん、その落胆とショックは大きいものでした。
わたしに百合を楽しむ素養がなくなってしまったのか、それとも“百合”が変質してしまったのか。
もうどっちでもいいです。わたしは疲れました。

好きな作品はいまでも大好きです。たとえば、……ていうか連載記事にするつもりだった「わたしのつらくない百合」で紹介した『いたいけな主人』をはじめとする中里十先生の作品は、何度も何度も何度も、セリフを暗記するくらいに読み返しています。『少女セクト』も『青い花』も大好きです、『舞-HiME』も『SIMOON』もDVDボックスを持っています。
さきほど「どっちでもいい」と言いましたが、「わたしに百合を楽しむ素養がなくなった」とは思いたくないんだと思います。人生の半分を費やしてきたんだから。そこはたしかにわたしが息ができる場所だったんだから。『君が僕を』も『荊の城』も本がぼろぼろになるまで読み返しているんだから。
だからわたしは一時期、『ゆるゆり』や『百合男子』を看板にしだした百合姫に、乱発される萌え四コマ系深夜アニメに、発狂したようにわめいていました。「変わったのは百合のほうだ、いまの百合はもう百合じゃない」。
わかるよ、と同意をくださった方もいました。反論もたくさんありました。老害がわめいているだけだとも言われました。
わたしは次第に発狂するのもやめて、ただ黙るようになりました。話題になっている作品を買って失望しても、それを口にしなくなりました。

心にまったく響かないんです。最近話題になっている百合作品を読んだり観たりしても。「これのどこがおもしろいの?」としか思えないんです。わたしが求めているのは『君が僕を』であり『いたいけな主人』であり『荊の城』であり『少女セクト』です。十五年前を思えば信じられないほどのスピードと量で供給されてくる百合作品を目にしても、すばらしいと思えないんです。心が動かないんです、一ミリも。
わたしははじめ、それに憤り、やがて悲しむようになり、そして口をつぐんでいるのがいまです。

百合に疲れました。
憤ることにも、悲しむことにも、「変わったのはわたしじゃないはずだ」と煩悶することにも、もうなにもかもに疲れてしまった。
答えを出したくない、悩みたくない。
結局第一回しか書いていない「わたしのつらくない百合」は、「いまはしょうもない百合作品が乱発されるようになってしまったけれど、わたしにとっての“百合”はこれなんだ、そしてわたしの思う“百合”はこんなにすばらしいんだ」と主張したかったんだと思います。でももうその気力もなくなってしまいました。

わたしはわたしの思う“百合”を書いてきました。わたしはこういうものが読みたいし、これがわたしにとっての百合なんだ、と思うものを書いて、本にしてきました。
大した部数は出ていませんが、それでも、毎回足を運んでくださる方、新刊は必ず手に取ってくださる方がいらっしゃいました。メールでとても丁寧な感想をくださる方もいらっしゃいました。ついったーで「おもしろかった」「よかった」とつぶやいてくれる方がいらっしゃいました。
ありがとうございました。
皆さまがいたから、短い期間ですが、わたしはこれまで「わたしの思う“百合”」を書いてこられました。わたしのやっていることは無意味ではないはずだ、と思って、百合というものに向き合ってこられました。ほんとうにありがとうございました。大好きです。

昔、プロの編集者の方に自分が書いた文章を見ていただく機会があって、そのときに、「あなたはどんなかたちでもいいので、文章を書き続けてください」という言葉をいただきました。その言葉は、ずっとずっとわたしの支えになっていて、パソコンに文章を打ち込みながら、「こんなもの誰がおもしろいと思うんだろう、こんなものを書いてなんの意味があるんだろう」と思ってしまうとき、いつもその言葉を思い出していました。
わたしの書いた作品を読んでくださる方も、おもしろいと言ってくださる方も、その言葉と等しい存在でした。ほんとうにありがとうございました。

おそ松さんには、ハマるべくして、ハマるべきときにハマったんだと思います。これが五年前だったら、ここまで沼に全身浸かっていなかった。百合に疲弊しきったわたしに、おそ松さんは蜘蛛の糸をたらしてくれました。
だって疲れなくていいんです。「わたしはこれが好きだ」って、はっきりきっぱり言えるんです。悩まなくていいんです。「これはすばらしい!」と声高々に叫べるんです。それがすごく楽で、幸せで、満たされているんです。そして同じ作品を観て、同じく「すばらしい!」と言っている方がたくさんいて、その気持ちを共有できるんです。そのすべてが、いまの“百合”がわたしには与えてくれないものです。

ついったーでも言いましたが、「わたしは百合に人生の半分を費やしてきたのに、百合がわたしになにも返してくれなくなった」、と言いたいんだと思います。だから、百合と一旦距離を置いて、一時の決別をしようとしています。
部数が出なかったから、読んでくださった方からのリアクションがなかったから百合から離れるのではありません、と、それだけは言わせてください。あなたがわたしの心の支えでした。わたしの“百合”を読んでくださって、ありがとうございました。


ってなんかすごい大げさに書いてしまった気がしますが、べつに完全に足を洗うわけでもなく、つい先日も『賭ケグルイ』というマンガがよい百合だった!とか叫んでましたからね。デストロ246とかは新刊を心待ちにしている作品です。
でも、もうしばらくは百合は書かないよ、もう献身的なふりをやめるよ、信じ続けている体を装うのはやめるよ、という決意表明というか、なんというか、そんな感じです。

百合に疲れた!!!!!
だから、ひとまずさようなら。
そしてこんにちは松、そしてただいまBL!!!!!!!
というお話でした。

あーーーーーーーー松おもしろい、ほんとうにおもしろいしすばらしい作品です、大好き!!!!!!!!
2015.05.22 03:51|その他
ブログをコミケ前の告知以外でも更新しようと思い立ったら、Amazonの商品画像を貼りつける機能が終了と来やがった。アホか、アホなのかfc2blog。なにを考えているんだ。

というわけで悩み中です、どうしよう、ほかのサービスに移るかなあ……うーん……